第10章 お見送りとお父さん
杏寿郎は足を止めてその様子を見ていた。
その顔にはいつもの笑みがなく、元々大きな目はさらに大きく開き、口は少し開いている。
それはもう何年も見ていなかった父親の笑顔を見たからだった。
と言ってもそれは一瞬。
桜が嬉しそうな声を上げたときに、堪えきれずにもらした本当に小さな笑み。
「杏寿郎さん、お帰りなさい!見廻りご苦労様です!」
その声に杏寿郎はハッとして笑顔を浮かべると、
杏「うむ!父上、桜!ただ今帰りました!!」
と言った。
声を聞きつけて千寿郎が玄関から出てくる。
千「兄上!お帰りなさい!」
杏「ああ。ありがとう。」
そう言いながら杏寿郎は千寿郎の頭を優しく撫でる。
家族が集まってくるのを見て、槇寿郎は居心地悪そうな顔をしながら部屋へ入ってしまった。
桜は "潮時かな" と思い、
「また飲みましょうね。」
とだけ槇寿郎の背中に向けて小さく言った。
槇「好きにしろ。」
桜にしか見えない部屋の中で槇寿郎は答えた。
が、すぐにカタカタという音に槇寿郎は振り返る。
そこに見えるのは猫の手でおちょこを片付けようとしている桜の姿。
槇寿郎は溜息をつきながら立ち上がる。
槇「杏寿郎。この猫持ってけ。」
「猫……。」
槇寿郎がビッと桜を指差す。
玄関で千寿郎と話していた杏寿郎はすぐに、 "はい!!" と返事をして駆けつけ、ひょいっと桜を担ぎ上げた。
そして酒瓶とおちょこを持って部屋に戻る父の背中に向かって、
杏「おやすみなさい。」
と静かな声を出した。