第105章 無視
「ですが、口さがない言葉に傷付いた火憐を、皆、見放しました。この子は口に出しませんが、ずっと孤独で、私には理解出来ない何かを見ている。貴方が傷を塞げるのなら、私は喜んで手を離しましょう」
「お父さん⋯⋯」
宇那手は、唇を噛んで俯いた。
(鬼舞辻は、私の”父親”になりたかったわけじゃない。それは、一番の希望では無かったはず。”私が”義勇さんを求めていたから、近くて⋯⋯遠い場所に収まったんだ⋯⋯)
梅の願いは叶い、珠世の願いもこれから叶うだろう。累も、家族に愛されている。鬼舞辻だけが、望んだ物を手に入れられなかった。
犯した罪を鑑みれば仕方が無いとも言えるが、宇那手は、二回も鬼舞辻の人生を踏み躙った事になる。
「お父さん⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」
「何故謝るのですか? 私は、貴女を心から愛しています」
月彦の言葉を聞き、宇那手は遂に泣き崩れてしまった。
鬼舞辻の「愛している」は、宇那手の心を深く抉った。罪悪感を植え付けた。
「ごめんなさい!! ごめん──」
「火憐」
後部座席から、義一が身を乗り出し、何かを差し出していた。スマホの画面だ。
「⋯⋯え? これ⋯⋯駅前の⋯⋯」
「火憐が遊びに来ると言ったら、姉が張り切って買って来た。だから泣き止め」
一個千五百円のケーキ。ケーキに釣られて、宇那手は涙を引っ込めた。
「美味しそう! あ、でもウエイトが⋯⋯うーん⋯⋯」
「安心しろ。こっちのヤツは果肉が殆どでカロリーも低い」
「義一君」
「なんだ」
「好き」
唐突な告白に、義一は固まった。言葉が出なかった。何年も、何年も、宇那手を想い続けて来たのだ。
彼女は何も知らずに、幸福な人生を歩んでおり、自分よりも優れた誰かを愛すると信じ、気持ちを封じて来た。
「ケーキじゃなくてね」
宇那手は、もじもじしながら口を開いた。
「気遣いが嬉しいの。貴方とお姉さんの。貴方は何時だって優しかった。私が水泳を辞めた時も、二人の様に騒がなかったし、スケートの事も。分からない事は、知った気にならないで、口を出さずにいてくれる事が心地良い。安心出来る。信頼出来る」
「これからは、分かってやれる様になりたい。⋯⋯長い⋯⋯長い付き合いだから」