第89章 激怒
「⋯⋯普通の事です」
胡蝶は、静かに涙を流した。
「冨岡さん。私も、どうにかなってしまいそうですよ。⋯⋯あの子は、あまりに姉さんと似ていて⋯⋯」
「⋯⋯鬼舞辻にも、手を差し伸べていた。この後に及んで」
不死川は、硬直を解き、呟いた。
「伝える事は伝えた。俺は屋敷に戻る」
彼は冨岡に文句を言おうとしたが、どうしても言葉が出て来なかった。冨岡が暴れていなければ、彼が代わりに暴れていただろう。
「なァ、冨岡」
不死川は、直前になって振り返った。
「テメェは、まだ喪ってねェんだ。柱らしくしろ」
誰にも告げた事が無かったが、カナエが殺された日、不死川は一人で咽び泣いた。何も伝えていなかった。感謝も、愛情も⋯⋯何一つ。だから、手元に何も残らなかった。髪飾りはカナヲの手に渡り、羽織はしのぶの元へ返された。
冨岡は、幾つもの形見を手にしている。彼が与えた分だけ、戻って来たのだ。
「愈史郎さん。仕事があるのでしょう? 今夜は、もう戻ってください」
胡蝶は疲れた声で囁き、ガラスの破片を拾い始めた。
冨岡は、意識が朦朧として来たらしく、船を漕ぎ始めた。愈史郎は、慌てて彼を抱え上げた。
「上に運んでおくぞ」
「ありがとうございます」
「お前も休め。隠を呼んだ方が良い」
「お気遣いありがとうございます。⋯⋯でも」
胡蝶は唇をきつく噛んだ。
「私も偶には、一人で泣かないと、壊れてしまいます」
「⋯⋯だから嫌だったんだ」
愈史郎は、部屋を後にしながらボヤいた。誰かと深く関われば、良い面にも、悪い面にも触れる事となる。情が移る。大勢の鬼殺隊士と関わりを持てるほど、愈史郎の懐は広くなかった。