第86章 正体
「そうなれば、一時的に、ある程度鬼を増やすべきかも知れんな」
鬼舞辻の考え方は、極めて合理的だった。否定が困難だった。
(この人は、長年孤独に過ごし、一人きりの世界で、この人なりの正しさを信じている。きっと、その価値観は、簡単に覆らない。私に出来る事は、残された時間、精一杯の愛情を注ぐこと。無償の愛を⋯⋯)
「もう疲れました。今日は休みます」
「それが目的か? 早々に眠ることが」
「⋯⋯やはり、書斎へ行きましょう。懸念もあります」
宇那手は立ち上がって、部屋の明かりを消した。彼女は積極的に前を歩き、二階へ進むと、秘密の書斎へ足を運んだ。
いつも通り、鬼舞辻が静かに鍵を掛けた所で、右手を挙げて彼を黙らせた。
本棚の裏に回り込むと⋯⋯
「麗さん。眠っていなかったのですね?」
「あ⋯⋯」
麗は寒さに震え、酷く怯えていた。宇那手は彼女を立ち上がらせて、目を伏せた。
「ご主人のこと、不安だったのですね? 大丈夫。此処で、食事をしていただけですから」
宇那手は本棚の隙間からペーパーナイフを取り出した。
「麗さん、左腕の袖をまくってください」
「⋯⋯え? ⋯⋯あ」
麗は混乱しながら従った。傷一つ無い、白く、美しい腕だった。宇那手はその腕を掴み、手首をなぞった。
「此処に太い血管があります。深く傷付けられば、血飛沫が飛ぶほどの。下手をすれば死にます。⋯⋯貴女は、本当の意味で鬼の怖さを知らないから⋯⋯。どうか、その腕は、綺麗なままにしておいてください」
彼女は麗の腕を離し、代わりに自分の腕を切り裂いた。
「火憐さん!!!」
麗は悲鳴を上げたが、宇那手は、何時もの事と、笑って見せた。
最上の血を前に、鬼舞辻の瞳孔が小さくなっていた。以前よりも毒が抜け、より美味な血を前に。
「どうぞ」
宇那手が腕を差し出すと、鬼舞辻は当然の様に血を啜った。彼女の腕は、年頃の娘の物とは思えない程、傷だらけだった。縫った痕もある。
「やっ!!」
歯を立てられた事に気が付き、宇那手は悲鳴を上げた。鬼舞辻は慌てて口を離し、作業机へ向かうとアルコールを掴んで、容赦なく彼女の腕に掛けた。