第85章 美しきもの
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(冷静になれ)
冨岡は、蝶屋敷の廊下で、一人きりになり、深呼吸した。家では一言も口を利かず、柱稽古への参加も拒絶したが、彼は一つの可能性を見出していた。
(あいつなら、どう動くか⋯⋯。全てが不自然だ)
宇那手は、殆どの薬を持ち出さずに置いて行った。以前、愈史郎から譲り受けた物も含めて。
薬学に関して冨岡は無知であったが、不自然に、一部の生薬だけが持ち去られていた事が気に掛かった。
「胡蝶」
勝手に診察室の扉を開けると、屋敷の主人は熟睡していた。
冨岡は少し躊躇いながらも、彼女を揺り起した。
「⋯⋯冨岡さん? すみません! 最近少し疲れていて!」
胡蝶は跳ね起きて、羽織を正した。冨岡は宇那手が残して行った薬を机に置いた。
「これを使うと何が出来る?」
「⋯⋯え? あ⋯⋯すみません。少しお待ちください」
胡蝶は荷物を開けて、薬瓶を丁寧に並べて行った。膨大な数だ。
彼女はしばらくそれを睨み、近くの棚から綴じ本を取り出した。珠世との共同研究で生み出した、藤を核とした毒の調合表だ。
(ほぼ一致する。だけど、より強力な物⋯⋯)
「冨岡さん。これは一体──」
「火憐が置いて行った物だ。素人目だが、不自然に幾つかの薬が欠けていて気になった。風邪薬や解熱剤、痛み止めの表記のあった物が欠落している。俺は、確かに見た事がある」
「⋯⋯鬼に対する毒です。途轍も無く強力な」
「つまり、あいつは、必要な薬だけを、選んで置いて行ったという事か」
(賢いやり方だ)
冨岡は、内心舌を巻いた。
(鬼舞辻の元に潜入するなら、怪しまれずに済む)