第85章 美しきもの
「⋯⋯理解出来ない」
鬼舞辻は、複雑な表情で返した。これまで、許しを請う者を大勢殺して来たが、恨んでも良いと言ったのは宇那手だけだった。
宇那手は、涙を拭い、赤く腫れた目で鬼舞辻を見据えた。
「私には、自分の命よりも大切な物があり、それを守り通すためなら、どんな手も使いました。貴方も同じ。一番大切な物が、ご自身の命だっただけ。ただ、それだけの違いで⋯⋯何百年も、人に恨みの感情だけを向けられて来た。貴方に殺されるのなら、致し方ありません」
「殺さない。⋯⋯いや、殺したく無い」
鬼舞辻は、初めて本心を口にした。
「火憐、死にたければ、私よりも力を付けろ。お前は寿命を迎えたその時に、鬼にする。一生傍に置く。それが嫌なら、私の首を単独で斬れる様になれ」
彼は宇那手の腕を掴み、引き寄せると、深い口付けをした。
(そうか⋯⋯。肉が丸ごと食事になるのなら、液体でも同じこと)
鬼舞辻は、唾液を啜った。勿論、血程は力を得られなかったが、甘美な食事だった。
宇那手は、身体を固定されながらも、無意識に痙攣した。
「火憐」
鬼舞辻は、力の抜け切った身体を支えながら、意識して甘い声色で囁いた。
「刀を返してやろう。お前には選択権を与えてやる。その代わり、食事に付き合って貰おう」
「⋯⋯はい」
宇那手は、暗い瞳で答えた。
(これで鍛錬を積める。でも⋯⋯食事と言うのは⋯⋯血じゃなくて⋯⋯)
冨岡を裏切る、背徳行為だ。そして、麗に対しても。
(良い。最初からそのつもりだった。使える物なら、自分の身体でも使う。そうでなければ、化け物には勝てない。最後が⋯⋯最後があの人なら、それで良い)
宇那手は、同意と恭順を示す為に、鬼舞辻を抱きしめた。