第85章 美しきもの
もしも、鬼殺隊が鬼舞辻を殺せなかったとしても、彼に何かが残る様にしたかったのだ。ほんの少しでも、良心の呵責を抱いてくれれば、死んで逝った者たちも救われる。例え鬼舞辻が、何の罰も受けなかったとしても。
「心配です、鬼舞辻無惨。貴方がこの先、代わり映えの無い永遠を送る事を思うと⋯⋯」
「お前だ!」
鬼舞辻は、身を乗り出し、宇那手の両肩を掴んだ。
「美しい、は、お前だ。以前、玉壺の壺を綺麗だと評したが、お前は美しい」
「離してください。浅草には、貴方の知り合いもいるでしょう? 奥様以外と連れ立っている所を見られたら⋯⋯」
宇那手は、鬼舞辻をやんわり押し返し、目を伏せた。
(殺したく無い。でも、もう他に道が無い⋯⋯。私は、冨岡さんを生かしたい。だけど⋯⋯もっと時間があれば、この鬼は、何か感じ取ってくれるかもしれない。変わってくれるかも知らない⋯⋯。その可能性があるのに⋯⋯時間が⋯⋯)
「火憐、何を考えている?」
鬼舞辻は、宇那手の頭に手を置いた。
「柱の事か? 約束は守る。殺しはしない。所詮水の呼吸の使い手だ」
「あの人の事は心配していません。⋯⋯貴方の事を考えていました。どうしたら、貴方が幸せになれるのか」
「余計な事を考えて、精神を削るな」
鬼舞辻は、強引に宇那手の手を引いて歩き出した。
大通りで車を拾った。
座席に乗り込むなり、宇那手は、顔を覆って泣き出してしまった。
(この人にも、優しさがある⋯⋯。誰も、この人に与えて来なかったせいで、それを表現する事が出来ないんだ⋯⋯。大勢殺した⋯⋯。私の家族も⋯⋯。でも、この人は、ただ生きたかっただけ! 自分の命以上に、価値のある物に触れて来なかったから、一番大切な物を守ろうとしているだけなんだ!! この人を化け物にしたのは、人間なのに⋯⋯それなのに⋯⋯人間がこの人に出来る事は、殺す事だけだなんて⋯⋯)
「貴方には、恨む権利があります⋯⋯」
宇那手は、弱々しく囁いた。
「貴方に薬を投与した医者も、鬼殺隊も、私も。貴方は、私を深く恨まなければいけない」