第85章 美しきもの
夜でも、明るい街だった。鬼舞辻は、宇那手を気にする事なく人混みを掻き分けて行った。
その背中をぼんやりと見詰めながら、宇那手はひたすら冨岡の事を考えていた。
(きっと、深く傷付けてしまった⋯⋯。私は愛される努力をしておきながら、あの人の手を離してしまった⋯⋯)
ふと、ガラスケース越しに、青石の腕輪が目に止まった。
(あの人と⋯⋯同じ瞳の⋯⋯)
何もかも、捨ててしまった。簪も、煉獄家の形見の品以外、処分してしまった。
「気になるか?」
何時の間にか戻って来た鬼舞辻が、ガラスを覗き込んだ。宇那手は、慌てて微笑んだ。
「気になります。私の唯一の心残りです。⋯⋯幸せに生きて欲しい。誰かと結ばれて⋯⋯生きて欲しい⋯⋯」
「⋯⋯欲しいのなら、買ってやろう」
なんの気紛れか、鬼舞辻はそう言った。宇那手は、心底驚いて目を見開き、それから肩を揺らして笑った。
「駄目ですよ。自分で買います。貴方は、麗さんに、何か選んであげてください。貴方を心から愛している人に」
「お前は⋯⋯」
鬼舞辻は顔を歪めた。打算の無い深い愛情が、彼の胸にも突き刺さったのだ。
童磨は、以前心が綺麗な女を、死ぬまで傍に置くと言っていた事があった。到底理解出来ない考えだったが、今なら、ほんの少し分かった。
平安時代、両親が鬼舞辻を必死に生かそうとしたのは、男児が必要だったからだ。男でなければ、家を継ぐ事は出来ない。だから、懸命に治療しようとした。女であれば、見捨てられていた。
母親に抱かれた記憶も殆ど無かった。乳母に世話をされていたからだ。
医者が得体の知れない薬を用いてまで、鬼舞辻を救おうとしたのも、貴族の息子を死なせれば、罪に問われるからだ。善良な皮を被った、偽善者だった。
故に、彼は物心ついた時から、愛を理解出来なかった。