第75章 歩み寄り
「一瞬、冨岡さんが小さな子供に見えました。犬に噛まれて、お姉さんに泣き付く子供に」
「⋯⋯」
冨岡は、目を見開いた。過去に同じ様な事があった。犬に尻を噛まれ、姉に縋り付いて泣いた。閉じていた記憶の蓋が開きかけた。
姉は、義勇を庇って死んだ。宇那手も同じ道を辿ろうとしている。自分は何一つ変わっていないと痛感した。犬に噛まれて泣く子供が、まだ心の奥底に住んでいる。
「火憐」
冨岡は弾かれた様に起き上がり、宇那手の襟首を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「冨岡さん。そういう所作が動物に嫌われるんで──」
「やはりお前を行かせたくない」
冨岡は、宇那手をぎゅっと抱き締めた。
「戻って来ないのだろう?」
「必ず戻ります」
宇那手は静かに答えた。
「冨岡さん、常に冷静さを保って。鬼舞辻無惨は私を警戒しているんです。私が戦闘に加わる事で、勝率が変わって来る。どうか、冷静に。私ならどう動くか、よく考え、口には出さない様に。信じています」
彼女は一度だけ抱き返し、身体を離した。
「伊黒さんや実弥さんには、思っている事を全て話した方が良いですよ。貴方が何故その言葉を発し、その様に振る舞うのか、きっと理解されていないですから。私は稽古に戻ります」
「ああ、丁度良かったです」
胡蝶が両手を合わせて首を傾けた。
「カナヲが、貴女と稽古をしたいって言っているんです。あの子が自分の気持ちを口にするのは、本当に珍しい事なので、是非見てあげてください」
「勿論です!」
宇那手は、すぐに笑みを浮かべて部屋を飛び出して行った。胡蝶はそれを見送り、宇那手の代わりに冨岡の隣に座った。
「カナヲがね、特定の誰かと、何かをしたいと言ったのは、初めてなの。指示を出さなければ何も出来なかったあの子が、ほんの少しだけれど、心を開いてくれた。竈門君との約束と、火憐さんのお陰ね。冨岡さん、私は姉さんの仇を取るためだけに生きて来た。そのせいで、カナヲはずっと、心を閉ざしたままでした。ほんの少し、踏み込んであげれば良かっただけなのに。⋯⋯火憐さんを助けてあげたい。でも、私は感情の制御が出来ない未熟者です。愈史郎さんにすら、鬼に対する殺意を感じ取られてしまった⋯⋯」