第74章 那田蜘蛛山の記憶※
「お前は、こんなにも感情豊かで、真っ直ぐで、気が強い女だったんだな。最初は、ただ美しいだけの、人形の様な娘だと思った。今手放さなければならないなんて⋯⋯。ようやく心を取り戻せたというのに」
「別に、確実に死ぬわけではありませんよ」
宇那手は、あっけらかんと答えた。
「その可能性が高い仕事をするだけです。柱なら、誰であろうと、そういった任務を与えられるものでしょう。今、上弦を討ち、状況が大きく変わった。此処まで来たら、死ぬ順番の違いでしか無い。そんなに長い間離れ離れにはなりませんから。⋯⋯そんな顔をしないでください。笑ってお別れしたいので」
「俺はお前ほど出来た人間じゃ無い。柱に相応しい人間でない事も、知っているはずだ」
冨岡は、巨大な飼い犬の様に、宇那手に縋り付いた。
「俺が悪かった、火憐」
「もう、良いですから」
「せめて、頬に口付けをさせてくれ!」
「どうぞ」
宇那手が答えた瞬間、冨岡は彼女の唇を塞いだ。頬どころの話ではない。
(結局私の負け。この人の腕の中は安心出来る。口付けも嫌じゃない)
宇那手は、冨岡の首に腕を回して抱き付いた。冨岡は驚いた表情で身体を離した。
「火憐」
「卑怯者」
彼女は涙ぐんで、冨岡を睨んだ。
「私が抗えるはずもない。貴方は分かっているんですよね? 私が、貴方を大好きだと言うことを。触れられて、口付けまでされて、逆らえるはずがない」
「許してくれるのか?」
「⋯⋯そうですね」
宇那手は、精一杯虚勢を張って、笑みを深めた。
「私に、そう言わせてください。これまでの様な、生温い方法では無く。貴方がご存知かどうか⋯⋯」
「つまり、遠慮は要らぬと?」
言うが否や、冨岡は乱暴に宇那手を押し倒した。
「言わせてやる。それから、お前にも謝罪をして貰うぞ。俺に愛されながら、その命を粗末にすること」
「柱なら、誰であれ当然──」
「うるさい。お前は罪を犯した。人にこれほどの恋情を抱かせておきながら、死のうとする罪だ。泣いて詫び様が許さない」
冨岡は手拭いを取り出すと、宇那手の視界を遮ってしまった。
「冨岡さん?!」