第74章 那田蜘蛛山の記憶※
宇那手は、勝手に階段を上がり、療養用の部屋の扉を開けた。冨岡は、ベッドに掛けて頭を抱えていた。
「冨岡さん」
「火憐!」
冨岡は弾かれた様に立ち上がり、宇那手に歩み寄った。両手を伸ばし、しかし、触れるのを躊躇った。
「大丈夫なのか? 不死川の所で死に掛けたと聞いた」
「鬼舞辻が、私に毒を打ち込んでいたんです。私の体内にあった薬が消費されるまで、効果が出ず、実弥さんの所で倒れてしまいました。もう心配要りませんよ。⋯⋯義勇さん。少しお話をしましょう」
宇那手は、ベッドに掛けた。
「私は、これから極めて危険な任務に向かいます。お館様と、悲鳴嶼様にのみ、仔細をお話ししています。貴方と言葉を交わせるのは、これが最後かもしれません。⋯⋯その可能性が高い。だから貴方に選んでいただきたいのです。私を憎み、蔑み、このまま別れるか、それとも、もう一度だけ許してくださるか。前者の方がずっと楽です。私は⋯⋯このまま部屋を去りたいです」
「嘘だ」
冨岡は宇那手の右腕を掴んだ。
「嘘を吐くな。お前が、そう望んでいない事くらい分かる! 二年⋯⋯共に過ごしたんだ。お前は嘘を吐く時、決まって穏やかな笑みを浮かべる。左の頬が微かに引き攣る。許すも何も⋯⋯俺が悪かったんだ。お前は何も悪くない。このまま別れたりはしない!!」
「辛いのは貴方です。貴方は、もう何も失いたく無いと思っている。馬鹿な女と関わったと思ってください! どうか⋯⋯生き延びて、幸せになって──」
「嫌だ!」
冨岡は、今度は躊躇わずに宇那手を抱き締めた。
「幸せになど、なれるものか。俺は、また奪われるのだろう? せめて今⋯⋯今愛したい。愛されたい。俺が悪かった。お前が倒れるほど、拒絶するとは思わなかった」
「鬼の前で倒れたら、殺されてしまう。だから私は必死に意識を保っていました。でも、命は保証されていて、苦痛を避けられないのなら、と身体が勝手に反応したのでしょう。⋯⋯そうです。苦痛でした。貴方以外に、あんな風に触られるなんて。どんなに親しい人でも嫌です! 絶対嫌!」
「⋯⋯悔しい」
冨岡は、悲しげに微笑み、宇那手の頬を両手で包んだ。