第72章 忘却の鬼

　彼女は言葉を切った。もう、時間が残されていなかったのだ。

「義勇⋯⋯さん。後は託します」

　宇那手は微笑みながら、冨岡の腕に赤い簪を突き刺し、弟子達の元へ奔った。

「落ち着いてね。貴方達は記憶の一部を失っているかも知れない。この血鬼術は、精神の核を象っている、一番大切な記憶を奪い取る物の様です。私も、失くしかけている」

　宇那手は刀を構えて周囲を見回した。何も見えないが、確実にいる。

「なるほど。鬼舞辻が好みそうな、悪趣味な術⋯⋯」

　鬼が姿を現した。刀を構えた村田を、宇那手は制した。

「あれは本体ではありません。迂闊に斬れば、私たちは、私たちの手で記憶を破壊する事になる。先に本体の首を斬らなければ、記憶は戻らない」

「俺は、何も失くしていません。貴女の事も、冨岡の事も、他のみんなの事もちゃんと分かる」

　村田は不思議そうに首を傾げた。

「それは、貴方が、既に一番大切なものを失くしているからです。恐らく亡くなった本物の家族でしょう。顔や名前、思い出せますか？」

　宇那手の言葉に、弟子達全員が顔を歪めた。恐らく、既に亡くなった家族を思い出せないのだろう。

「待って⋯⋯。火憐さんは、何を⋯⋯まさか！！」

「あそこにいる、水柱の事が分かりません。ですが、問題無い」

　宇那手は胸をぎゅっと掴んだ。

「貴方達を想う以上に、私はあの人を愛していた。それさえ分かれば十分です。取り戻せば良い。それが無理でも、やり直せば⋯⋯。私の記憶の化身⋯⋯恐らく最も強い個体は斬って構いません」

「冨岡！！」

　村田は、咄嗟の判断で叫んでいた。

「お前が守りに徹してくれ！！　頼む！！　斬らせないでくれ！！　水の呼吸なら出来るはずだ！！」

「本体も見えたよ！！」

　環が鏡を掲げた。其処には、見えない鬼の姿が映り込んでいた。

「師範の型なら斬れる！！　拾壱ノ型と拾弐ノ型を同時に使えば！！」

「では、そうしましょう」

　凪で弟子達を守りながら、宇那手は不遜に微笑んだ。

「出来ますよね、冨岡義勇さん」

「っ何故？！」

「立て直しに何秒掛かりましたか、貴方。早く動いて」