第66章 真の鬼
「それなら、今は動くな。腕の良い医者が、何の理由もなく忽然と姿を消せば、怪しい。跡を辿ろうとするはずだ。それに、資産家の養子としての肩書きが不要になれば、無惨は周囲の人間を殺す。行方不明として、簡単には片付けられない。それは防ぎたい。浅草の女は、何とか生きているが⋯⋯。火憐なら、そう考える」
冨岡は、愈史郎を安心させる為に、宇那手の名を利用した。胡蝶は席を立ち、薬剤の並んだ戸棚へ向かった。
「鬼舞辻の目を欺くのなら、医者が鬼では無いという情報を流す方法を使えます。鬼であるならば、鬼舞辻でさえ、日光の下を歩く事は叶わない。これを」
彼女は、厳重に封をされた薬を取り出した。
「火憐さんが開発している物です。鬼の性質を押さえ込み、ほんの数分の間ですが、日光の下を歩く事が出来る様になる物。私たちが開発している、鬼を人間に戻す薬は、現状、服用後鬼としての存命を第一に考えてはいません。ですが、これは、あくまで鬼用の治療薬として作られた物です。以前、火憐さんが、不完全な物を鬼舞辻に渡したと言っていましたが、その後の奴の態度から見るに、一定の効果はあった様です。これは、更に改良した物。十分間は、完全に陽光焼けが起きないと言っていました」
「そうか。感謝──」
言い掛けて、愈史郎は口を噤んだ。
(俺は何故信頼しようとした? 言葉だけだ。この薬に何が使われているか、俺には分からない。それなのに)
「あの娘はなんなんだ? 元医者か? 何故鬼舞辻と渡りあえる? 俺たちが何年掛けても成しえなかった事をやってのける?」
「天才⋯⋯というしか無いですね」
胡蝶は苦笑未満の表情で答えた。
「ある意味、可哀想な子でもあります。あの子は⋯⋯あの方は、お館様の遠い血縁者です。産屋敷家が代々短命なのに対して、あの子は異常に頑丈です。まるで、戦う為に生かされている様な⋯⋯そんな存在です。貴方が火憐さんを信頼してしまうのも、天性の才故でしょう」