第64章 赤と青
「っ!!」
時透は、衝撃のあまり蝋燭を倒しそうになった。慌てて火を消し、暗闇の中を振り返った。
火憐は身体を起こして、時透を見詰めていた。
「君は沢山持っている。柱としての戦闘能力、強靭な精神、優しさ。どうして、そんな子に、無なんて漢字を付けたんだろう?」
「⋯⋯分からないよ。僕が何一つ分からないって、知っているでしょう?」
そう答えつつも、時透は全身に汗を掻いていた。何かが喉元につかえていた。何か、掴めそうで掴めない、もどかしい感覚に支配された。
(違うよ。無意識に、そうやって与えてくれるのは、何時だって貴女だ。お館様の様に。他の柱もきっと同じ⋯⋯)
「火憐さん、横になって。傍にいるから」
時透は火憐に歩み寄り、彼女をゆっくり押し倒した。
(綺麗な人だ)
改めて火憐を観察し、時透は素直にそう思った。
深く黒い瞳に、鴉の濡羽根の様な黒髪。左腕と首に傷が無く、全身毒塗れで無ければ、嫁に欲しいと言う男は山ほどいるだろう。いや、多少傷跡があったとしても、まぐわいたいと思う男はいる。
(何時か、お嫁さんが貰えるなら、こんな人が良い。強いし、頭も良いし、うるさくない)
先のことを考えたのは、記憶を失って以来、初めての事だった。
「無一郎君は、綺麗な瞳をしていますね」
火憐は、傷だらけの左手を伸ばして、時透の頬に触れた。
「悲しくなります。鬼なんかいなければ、戦わずに済みます。貴方はとても端正な顔立ちですから、きっと素敵なお嫁さんを貰って⋯⋯ずっと、ずっと幸せに生きられたはずなのに」
「⋯⋯もう良いから、寝て」
時透は歯を食いしばって、火憐の左手を降ろさせた。彼女の言葉は、全て時透が口にしたかった言葉だ。