第73章 甘えるならこんな風に〜徳川家康〜
私は、その日から家康にくっついていくのをやめた。
気軽に声を掛けるのも。
挨拶や当たり障りのない会話しかしなくなった。
でも、家康は何事もなかったように冷静で。
そんな姿が予想通り過ぎて寂しさを感じながらも、動じないの様子が家康らしいなと思った。
私は沈んだ毎日の中で、楽しいことや面白いことがあるとつい家康と話したくなった。
心の中で、何度も声を掛けた。
家康、今日ね。こんな面白いことがあったんだよ…。
そう言いたくて、聞いてもらいたくなって…
でも、口には出せなかった。
だって…
家康に、もうあんな風に怒られたくはない。
近づかなければ、そんなことは起こらない。
家康が私を恋しがれば良いのに…
そう思うけど、家康はいつだって一人で平気そうだった。
きっと今だってそうだ。
寂しいのも
話したいのも
私だけなのかな…
………
「葉月、こんな快晴の日なのに…お前の前だけは土砂降りのようだな」
光秀さんがそう言って、現れた。
不思議な人だ。
私が笑顔で誤魔化しても、彼の目はお見通しなのだ。
そんな光秀さんの言葉に私は否定も肯定もせず、答えた。
「梅雨が終わって寂しいです。あの雨の音が好きなのに」
「お前は本当に変わっているな」
「…変ですか?」
「いや?俺も大概変人ではあるからな。何も思わん」
城下はもう、夏だった。
蝉の鳴き声と、汗の煩わしさと…この暑さ。
でも、未だに私の中には、まだ雲がかかって冷たい雨が降り続いている。
城下に来ても、家康と同じような背格好の人が通ると家康かと思って振り返ってしまう。
もしかしたらいるかも、なんて思ってしまう。
こんな自分に驚いて、戸惑う。
私の中で、家康がこんなに大きな存在になっているなんて気づかなかった。
もちろん、気づきたくなんてなかった。
気づいた所でどうしようもない。
…私から離れたのだから。
「…葉月、お前は甘えられるより甘えたいと俺に言っていたのを覚えているか?」
「言いましたね…確かに」
「だがな、お前は本質的には甘やかしたいタチだろう?」
「……そうでしょうか?」
「あぁ、現にお前は俺に甘えたことなどない。甘えられたことなら…あるだろう?」
「甘えられたこと?誰からもありませんよ」
…全く。
そう呟いて、光秀さんは私を小突いた。