第60章 ある春の日に〜安土城から〜
「…お前、昼間泣いたらしいな」
夜、天守閣に呼び出された私は、信長様にそんなことを言われ驚いた。
「なぜ、それを?」
「噂になっていたぞ」
「私が泣いただけで…ですか?」
「まあ、お前はそれほど注目されているということだ」
…意味がわからん。
私は信長様より離れた場所で座りながら眉を顰めた。
「もう、大丈夫か?」
「え?」
「涙の理由だ」
「あ。はい」
「…そうか…」
もしかして、心配してくれたのだろうか?
全然そんな風に見えないけど。
意外。
こうやって気遣えるんだ、信長様って…。
驚いた私は、初めてまともに信長様の顔を眺めてしまう。
よくよく見ると信長様の眼の下に影が見えた。
どうやら、すごく疲れているようだ。
「あの…信長様」
「なんだ?」
「疲れているなら、お休みになられた方が良いのではないですか?」
「疲れてなどおらん」
「そうですか…?」
「まあ、お前が癒してくれるなら…話は別だ」
「え?」
「近う寄れ」
そう言われ、私は信長様の横まで行き、座り直した。
「今日は、随分と近づくのだな」
「あ、近すぎました?」
「いや…。俺のこと、もう怖くないのか?」
「始めは怖かったですけど…今は怖くない、です」
「ならば…。もう、触れても良いか…?」
逞しい褐色の腕が遠慮がちにに私の腰に触れる。
私が無言で頷くと、ぐっと身体が近づき顔が間近になる。
私が以前、夜伽はしないと言っていたのを覚えていてくれたみたいだ。
意外にも優しい手つきに驚いた。
私の肩に信長様は頭を預けると、甘えるようにくっついて来た。
「少しで良い。こうさせてくれ」
「…はい」
私は信長様の背中を優しく摩ると、信長様がふっと笑う。
「この様な扱いは不本意だが…癒されるな」
「そうですか?良かったです」
「今日は寛大だな、葉月」
「はい。今日…色々な方に優しくしてもらったので、信長様にもお裾分けです」
「ふっ、そうか」
「安土城の方々に少し近づけた気がします」
「…良かったな」
「はい。信長様も元気になって下さいね」
「……ああ」
そうですね、光秀さん。
私はこの城の人達に好かれるのは無理だと思います。
だから、私からみなさんを好きになっていきますね。
嫌われても気にしません。
ちゃんと優しくしてくれる人もいるから…。
信長様が眠るまでそんなことを思った。