第60章 ある春の日に〜安土城から〜
私がまた黙ると、光秀さんは私の側に座り「…葉月」とそっと名前を呼んだ。
「…この世の全ての者に嫌われるのが無理なように、全ての者に好かれるのも無理だ」
「…?」
「お前は城の奴ら全員から好かれたいのか?」
「い、いえ。そんなつもりは…」
「悪いが、俺の方がお前より嫌われている自信があるぞ?」
私が目をぱちぱちさせると、ふっと光秀さんが笑った。
涙の止まった私を見て、光秀さんは懐から手ぬぐいを出すと「使え」と私に渡した。
小さな声で「ありがとうございます」と言いながら受け取り、涙を拭いた。
そんな私を眺めながら、光秀さんは話し始める。
「自分の陰口を聞いたなら、俺のも聞いたはずだ」
「あ…いや。その…ちょっとだけ」
「変な気遣いは無用だ。慣れている」
「…気にならないんですか?」
「ならないな。人は好き勝手に言う生き物だ。…それに嫌われている方が仕事がしやすい」
「そうなんですか…」
「まあ、針子の仕事はそうはいかないだろうがな」
「え…?」
「まだお前の人となりが伝わっていないだけだ。きっと時間が解決してくれる。…お前は真面目なんだな」
「真面目?」
「嫌なら辞めれば良い。放り出してしまうことも出来るだろう?でも、そうはしない。向き合おうとしているから悩むのだ。だから、お前は真面目。お前の良さはゆっくりだが、きっと伝わる」
思わぬ優しい言葉たちに唖然としてしまい、光秀さんを見つめた。
私の視線を気にすることなく、光秀さんは続けた。
「それに、言いたい奴らには言わせておけ。お前は信長様の命で此処にいるのだ。そんな奴らの戯言など気にするな」
「は…い」
「なんだ。目が見開いたままになっているぞ?」
「…光秀さん、私を間者だと思っていないのですか?」
「こんな繊細で間抜けな間者はいない」
「ひどい…」
「秀吉もそろそろ気づくだろう。あいつは本来、世話焼きだ。何か困ったことがあったら、あいつに聞くことだ。三成も博学で、説明が上手い。わからないことは質問してみると良い。家康は簡単に言うと人見知りだ。心を開くのに時間がかかる。お前を嫌っているわけではない。安心しろ。政宗は…あのままだ」
肩をすくめた光秀さんに私が笑うと、光秀さんはそっと私の頭を撫でた。