第32章 好きだから・前編〜明智光秀〜
「待ちやがれー!」
真っ当に生きてきた私が、まさかこんなセリフを言われる日が来るなんて。
恐ろしい言葉を背中に浴びながら、私は今、足を泥だらけにしながら必死に走っている。
息も切れ切れ。
苦しくて、今すぐ立ち止まりたい。
怖い時って声が出ないというのは、本当らしい。
ただ、走ることしか出来ない。
私はひたすら、足を前に前に動かす。
城下の帰り道に私は、野蛮な人達から急に声を掛けられ、腕を掴まれそうになった。
見た目からして、絶対にヤバめな人達だ。
私は嫌な予感がして、何も答えずその場から走り出した。
怖い。
やだ。
捕まったら死ぬかもしれない。
いや、もっと死ぬより酷い仕打ちをされるかもしれない。
そんなの嫌っ!
そう思った時…
あの人の顔が浮かんだ。
もう会えなくなってしまったら、どうしよう。
私、ずっと素直になれなかったから。
このまま消えてしまったら、一生後悔するだろう。
言えば良かった。
ちゃんと自分の口から。
会いたい、あの人に。
助けて
助けて…
光秀さんっ!!!
「葉月っっっ!」
叫ぶような光秀さんの声。
振り向くと、全く余裕のない表情の彼がいた。
いつも冷静な貴方が、そんな大きな声で私の名前を呼ぶなんて。
私はこんな状況だというのに、そっちの方が驚いてしまう。
光秀さんは長い腕を伸ばして私を掴み、男達からは見えないように私を後ろに隠した。
「うわ、やっべぇ」
光秀さんを見た瞬間、男達が一目散に逃げて行く。
「久兵衛っ」
「はっ」
光秀さんしか目に入ってなかった私は、久兵衛さんが居たのに気づかなかった。
久兵衛さんは、素早く彼らを追いかけて行ったようだ。
私はもう脚がふらふらだった。
「大丈夫か」
「…はい」
「葉月…」
「……怖かった…です」
ほっとしたら涙が溢れ出す。
そんな私を、光秀さんはそっと抱きしめてくれた。
胸から聞こえてくる心臓の音が早くて、光秀さんが肩を上下して呼吸をしているのに気づく。
もしかして走って来てくれたのだろうか。
…私なんかのために。