第30章 涙を流す場所〜織田信長〜
「もう遅いし、帰りますね」
「…大丈夫か?」
もう大丈夫なのかという意味なのだろう。
信長様は私が泣く理由をいつも聞かない。
最近になって、やっとそれが優しさだと気づきました。
でも…そんな風に聞かれると、帰りたくなくなってしまいます。
私の理性は脆いんですから。
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか。…またな」
背中越しに聞こえる声。
私は気づくと微笑んでいた。
…『また来て良い』という意味だと勝手に解釈してしまったから。
私は廊下を進もうとすると、政宗が壁に肩と片足で寄り掛かりながら立っていた。
腕組みをして下を向いていたが…目だけゆっくり私を見る。
信長様に用事?
いや、ならなぜ部屋に入って来なかったのだろう。
…私を待っていたのだろうか。
「政宗、どうしたの?」
「それはこっちが聞きてぇな」
政宗のピリついた空気を感じ、私は黙った。
怒られるようなこと、私はしただろうか。
「お前、此処んところ頻繁に信長様の所に行ってるよな…。でも、男女の匂いは感じねー。いったい何やってんだよ」
こういう時の政宗はやけに鼻がきくから腹が立つ。
わざわざ言わなきゃいけない義理はない。
私だって、何やってるんだろうと思っているのに。
「…別に政宗に言わなくてもいいでしょ?」
「はっ。お前って気が強いよな。そこは俺も気に入っている。でもな」
そう言うと、私の顎を乱暴に片手で掴んだ。
怖い。
私は怯んで、身体が縮こまった。
そんな私の反応に、彼は口元だけで笑った。
「…何びびってんだよ。なんもしねーよ」
「手、離して」
「やだね」
私は泣きそうになる。
でも、唇を噛んで政宗を少し睨んだ。
気を緩めたら涙が出てしまいそうだ。
こんな風に泣くのは負けな気がして、嫌だった。
私の反応を見ながら、政宗は片眉を上げて言ったのだ。
「泣けよ。泣きながらやめてって言えば手を離してやるよ」
彼らしくない台詞だ。
何が目的かも、何がしたいのかも私には不可解過ぎて眉の間に皺が寄る。
「…何、言ってるの?」
「お前って泣かないよな。俺らの前だと。嘘くせー笑顔ばっかり浮かべてるだけでよ」
「泣くようなこと、ないもの」
「嘘つくんじゃねーよ」
「お前、女中に嫌がらせされてんだろ?」