第30章 涙を流す場所〜織田信長〜
私が起きると、信長様は遠くを見つめていた。
そこから動かずにいてくれたのだろう。
彼の左手は、私の背中に乗ったままだ。
見つからないよう、息を殺してその横顔を眺めていた。
下から見る、信長様の顔は…まるで知らない人のようだった。
艶のある黒髪がはらりと落ちる。
あの赤い瞳には何が映っているのだろう。
私には知らなくて良いことなのかもしれない。
そうだな…。
きっと、この國の明日に思いを果てているのだろう。
天下の織田信長なのだ、彼は。
私はこの人に相手貰えていることすらおかしいのだ。
それを忘れてはいけないのに。
側にいるとこの手で掴みたくなってしまう。
もっと先に進みたくなってしまう。
一瞬、その考えがいつも心を掠めるのだ。
私はこの人に、淡い気持ちを持ち始めているのだろうか。
でも、気づきたくない。
育てたくない。
ほんの少しでも、恋の香りを感じたら…この関係性はなくなってしまう気がした。
女性として、私の涙を受け止めて欲しいだなんて出過ぎたこと。
この優しさは、男女の関係じゃないからこそ成り立っている。
きっとこの胸の切なさも痛みも、気のせいだから。