第1章 ここは私の世界じゃない
「一種の記憶障害だろう。ただ、似たケースで自分の名前は分かってもどうやって過ごしてきたのかよく分からないパターンだったり、覚えているのにそれを自分の記憶と思えなかったり…。今のお前みたいにしっかりと自分の事は覚えていて、過去の事が別の記憶で塗り替えられてるのは…聞いた事がねえ」
男の言葉に朱里は意味が分からないとばかりに首を振る。自分は記憶障害等ではない。気を失うまで、学友に囲まれて楽しく過ごしていたのに…目の前の男はそれをまるでそれが無かった事かのように話す。
「…朱里、もしお前の性格が記憶障害で変わってないなら今お前が考えている事は分かる。俺は何もお前の記憶を否定してるわけじゃねぇ…ただ…俺は、ずっとお前の傍にいた。お前が、俺の傍で笑ってるのを見てきたから…お前のその記憶にある世界に戻してやる努力は出来ねぇ」
朱里の不安を少しでも無くし、けど希望を与える訳ではない言い方に何故か落ち着きを取り戻していく。
「…私は、どうしたらいいの…」
「分からねぇ。俺としては早く記憶を取り戻して欲しいけどな」
そう言って、また手を握ってくる男に朱里はどう反応するべきなのか分からなかった。普段ならこんなにも格好良い人間がこんなにも近くに来たら吃驚して照れて訳の分からない事を言うのに。今は自分が自分なのかも分からない状況だから、朱里は戸惑いながら受け入れるしかなかった。
「…とりあえず、自己紹介してやろうか?」
「お、ねがい…します…」
「敬語ってのも新鮮かもな。…俺の名前はトラファルガー・D・ワーテル・ロー」
「…長い、ですね…」
なんだかちょっと別の意味で身の危険を感じる台詞を聞いたかもしれない。その感情はそっとしておき、名前に対しての感想を告げればローは苦笑いをした。
「本当に、覚えてねぇんだな」
そんな事を言われて、何だか次は胸が痛むような気がする朱里。そんな朱里の様子を分かっていてあえて何も言わない様子のロー。
「他の奴らに話してくる。落ち着いたらまたあいつらの紹介もする。今は寝てろ」
優しく頭を撫でられ、それがとても心地好くて条件反射のように頷く朱里。部屋を出ていくローの後ろ姿をただ見送るが、朱里から見えない顔は悔しそうに歪んでいた。