第1章 落ちて拾われて
言われるままに席に着く。
座席が四つのよく見る車は、コンパクトで可愛らしい深緑色。
中は少し乾燥しているけれど、埃一つ立っていない。
後部座席には小さな木箱が三つ。
十字のシールが貼ってあるから、きっと救急箱だろう。
「手を動かして、シートベルト締めて。時間は有限だよ?」
鳥居先生に急かされて、ベルトを掴む。
不安がって何も行動しないままでいる訳には行かない。
気持ちを引き締めると共に、ベルトの金具をカチャリと差し込んだ。
車がゆっくりと走り出し、道路に入る。
「まずは、あたしの自己紹介から。アメリカでの名前はリタ・クラーク。日本に来てから母の名前を借りて、鳥居理都になった。こっちには、離婚で会えなくなった母を探しに来たの。でも着いたはずの日本は、あたしが知ってる日本とは少し違った。ゼロっていうよく分からない男のアイドルの影に支配された国、それが今居るあたし達の世界の日本だよ。あんたは聞いた事があるかい? アイドリッシュセブンっていうアプリゲームを」
道路を真っ直ぐ進んでいた車が、信号に阻まれ停止する。
アプリ。
その名前は、工場へ見学に来た子達が話していたような。
でも詳しくは知らない。
若い女の子達の間で人気なのかな、くらい。
「分からないみたいね。・・・あたしはエアポートの化粧室の鏡の中から、このアプリの世界に来ちゃったんだよ。ここまで話せば分かるかな、山中さん、あんたもあたしと同じ、俗に言うトリップってやつを体験してるって事だ」
信号が青になり、再び車が進んでいく。
トリップ、そんな、信じられない。
でも━━。
私は紙を煮詰める鍋に落ちて、底の無い闇の中で風を受けた。
気を失って目を覚ましたら、傍には男の子が居て、私は公園の芝生で横になっていた。
鉄と木が混ざった匂いが、芝生と柔軟剤の匂いに変わっていた。
固い金属を擦る音が、人々の陰口に変わっていた。
冷えた工場から、温かい腕の中に変わっていた。
私の五感は、これは夢ではない、と知らせてくる。
信じられない、じゃなくて信じるしかない、なのだと。