第2章 始めて掴まれて
三月くんは、六弥さんを説き伏せて彼を一人で部屋へ返し、私を解放してくれた。
六弥さんのペースに流されていた私に、三月くんは叱ってくれる。
嫌なものに無理やり付き合わされても拒否できないままで居たら、自分の身が危なくなった時にどうやって逃げるんだ、と。
大丈夫だ、そんな事は起こり得ない。
端から決めつけて生きてきた私を、心底心配してくれているような口ぶりだった。
三月くんが出した例え話は、誘拐されそうになっても大声を上げられずに居れば捕まってしまう、というもの。
幼稚園児が不審者に気をつけるように教えられているみたいで、気分は良くなかったけど。
自分が子どもみたいに見られているのだとしたら、それは私が至らないからだ。
本当に嫌な目に合った時に、簡単に諦めて手段を手放す前に、自ら誰かに助けを求めることができるか。
今の私なら、諦める方法を取る。
それがいけない事だと三月くんは言いたいのだろう。
「今度から気をつける。ありがとう」
心にも無い事を言うと、自分の言葉に全く重みがないのが分かった。
そそくさと三月くんに背を向けて、自分の部屋に逃げるため階段へ急ぐ。
気をつけるつもりが無い事は、三月くんにバレバレだろうな。
分かった風な口をきいて仮面をつけて、誤魔化す事もきっとできただろう。
そうしなかったのは、彼の真っ直ぐな目を見て自分を偽る事が、不可能に思えたから。
階段を上がりきり、何もない部屋に入って、ドアを閉める。
窓から差す月明かりが、私の足を白く浮かび上がらせた。
痛い、傷が。
しゃがみこんで、目に見える靴擦れのあとを指先でなでる。
爪を引っ掻けると、赤くにじんだ。
ぽたり。
私の膝が雨か何かに濡れる。
まばたきするたびに落ちていく。
今朝、二階堂さんから動画を見せられて、質問されて、怖かった。
さっき、三月くんに向き合われて、私の心が間違っているように思えて、怖かった。
距離が遠くても、近くても、どっちも怖い。
私はおかしいのだろうか。
がり、と爪をまた引っ掻ける。
見える傷の痛みが分からない。
きっと、私はおかしいんだろう。
帰りたい、家に、自分が住んでいたあの場所に。
ここは何もかも、私には眩しすぎる。
都会の街も、明るい職場も、働く彼らも、痛いくらい眩しい。