第2章 始めて掴まれて
寮に着くと私は早速、和泉さんから急かされた。
部屋に上がって荷物を下ろし、着替えをまとめてリビングに戻ってくる。
とても忙しい中、時間を割いてくれているのか、和泉さんは玄関先で立ったままだった。
無言で先に寮から出る彼に続き、慌てて私も出ていく。
「行ってきます!」
リビングで寛いでいた人が、軽く行ってらっしゃい、と言ってくれた。
空は、すっかり暗く星の瞬きが鮮明になっている。
街路灯の光は強く、どこからか飛んできた夜の虫達を引き寄せていた。
澄みきった冬の空気は、私と和泉さんとの間を丁度良い緊張感で満たす。
彼は歩くのが早い。
私は今朝から、慣れていない靴で過ごし続けていたせいか、くるぶしに僅かな違和感を覚えていた。
普段は運動靴しか履かないのにいきなりヒールを与えられていたものだから、靴擦れでも起こしたんだろう。
幸い、まだそこまで痛くないから、これくらい耐えられる。
和泉さんに要らぬ気遣いをさせて、また迷惑になるのはどうしても嫌だった。
街が活動している音だけが耳に届く。
銭湯までの道は、単純でとても覚えやすかった。
曲がり角に小さな狭い公園があって、子どもの忘れ物なのか丸いスコップが落ちていた。
銭湯は人工的で、少し古さも感じさせる明かりが点灯している。
私はぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、和泉さん。ここまで送ってもらって。それに今朝の事も」
初出勤の時に、私に腕を貸してくれた六弥さん。
彼は和泉さんにお願いされたと教えてくれた。
「別に良いですから。早く入ってきて下さい」
素っ気なく返されてしまったけれど、和泉さんが吐く息は、彼のさりげない優しさを表すかのように白く浮き上がった。
私は軽くお辞儀して、銭湯の中に入る。
入口に座っている番頭さんにお金を渡す。
番頭さんはシワだらけのお爺さんで、目が良くないのか、小銭を指先で確かめるようにして受け取っていた。
脱衣場には、町の診療所で見るようなついたてがあって、お爺さんからお客さんの姿は見えないようになっている。