第10章 情景
それからしばらく経ち、
私もお客の相手にだいぶ慣れてきたと感じていた頃、
今日もいつものように張見世にでて指名を待っていた。
三味線の音色を聞きながら、向かいの見世にかかっているいくつもの提灯をぼーっと眺めていると、
こちらをじっと見つめている殿方に気が付いた。
笑いかけようと息をついたとき…
「…どうして……っ」
その人物は、私のよく見知った、
ここに来てからずっと会いたかった人だった。
「どうかしたのかい…?」
「っいえ……」
それは、いつもの隊服ではなく、
黒鳶色の着流しをゆったりと着て、頭巾を深くかぶった杏寿郎さんだった。
彼は少し驚いたような顔をして此方を見ている。
隣りの姐さん女郎に心配され、動揺を見せまいと俯いていると、
すっと目の前に煙管を差し出された。
「…どうだい?今夜。」
顔をあげるとそこには、背の高い……こういう人を"伊達男"というのだろうか、歌舞伎役者らしい男がいた。
…受け取らないわけにはいかない。
床入りに抵抗がある私にとって、初回の客は落ち着いて鬼の情報を聞き出せる有難い存在だ。
私は煙管を受け取り悠然と吸ってみせた。
「じゃ、揚屋で待ってるからな。」
ゆっくりと頷いた後、杏寿郎さんの方にちらと目線を向けると、
彼は私から目をそらすように顔を背け、そのままどこかへ行ってしまった。