第10章 情景
「……あのっ…」
いつの間にか槇寿郎さんは私のすぐそばに来ていた。
両手を伸ばした槇寿郎さんの手は、私の肩に触れ……
ブワッッ…ドンッ!!
「きゃっ…!」
目の前が火に包まれた。…ように見えた。
私は急な衝撃に驚いて身を縮こませるが、気が付いたらなぜか杏寿郎さんに抱きかかえられていた。
ポタっ、と杏寿郎さんの髪を伝って私の胸元に水が垂れた。
「父上、この方は母上ではございません!継子のです!よもや勘違いをなされたか!」
「杏寿郎…!
………そうか、君は継子の……。すまない…。酔っていたとはいえ、年頃の娘に失礼なことをした…。」
「い、いえ…。」
槇寿郎さんははっとしたように杏寿郎さんを一瞥した後、私に向き直り頭を下げ、いそいそと自室へ戻られた。
「、父上がすまない…。何かが割れる音が聞こえて、脱衣所から飛んできたのだが、もう少し早く来るべきだった。」
「ううんっ!気にしないで、私は全然平気よ。ありがとう…っ。
あの……瑠火さんというのは、お母様のこと…?」
杏寿郎さんの眉がめずらしく下がる。
「あぁ、母のことだ。…正直に言おう。君には少し、母上の面影がある。
父上はと初めて顔を合わせて、母上と思われたのだろう…。」
杏寿郎さんはゆっくりと話しながら、私を床に下ろしてくれた。
まだ3月初めの寒い夜。
私はお風呂上がりで温かい杏寿郎さんから離れるのを名残惜しく感じつつも、先の槇寿郎さんの寂しそうな表情が忘れられない。
「槇寿郎さんと瑠火さんは、仲良しだったのね…」
「…あぁ、とてもな。父上は母上が亡くなってから余計に酒に溺れるようになった。…今でもお辛いのだろう。」
何も言えなかった。
最愛の人を亡くした槇寿郎さんが、今どれだけ深い悲しみの中にいるのか考えると、私もとてもつらくなった。
割れた酒瓶のかけらを拾おうとした杏寿郎さんに、
「私片づけておくから、居間でくつろいでいて?」
と言い手を伸ばしたが、その手をとられてしまった。
「出血しているではないか!手当をしよう。」
先ほど包丁で切ってしまった傷だ。
大したものではないので「大丈夫」と伝えたのだが、いくら君でも怪我を甘く見てはいけない。と諭されてしまった。