第16章 暁闇の元
ーーーーーーーーー
…杏寿郎さんが笑っている。
その笑顔は私に向けられていて、私はすごく幸せを感じている。
…ゆっくりと瞼を開け、布団から香る藤の匂いで覚めた。
この頃、よく杏寿郎さんが夢に出てくる。
忘れたいと願うほど、どうして夢に出てくるのか…
夢の中の私はとても幸せで、何が可笑しいのか彼と一緒によく笑っている。
でも杏寿郎さんに触れることはできなくて、
近くにいるのに遠い。
現実の世界でも、私と彼との間には決して超えられない境界線があったのだ。
それを越えたつもりになっていたのは、私だけだったようで…。
悲壮感に襲われる前にと、はまた眠りの世界に落ちていった。
ーーーーー
「いっ…」
そんな夢を思い出していたからか、
翌朝の稽古で脚を挫いてしまったようだ。
冨岡さんにはばれてないようなので、患部を庇いながら稽古を続ける。
だが、それからすぐに"ここまでにしよう"と冨岡さんに言われ稽古は終わった。
「…挫いたのか」
「!」
汗を拭こうと手ぬぐいをとった時、そう声をかけられた。
冨岡さんは気づいていたのだ。驚いた。
「すみません…」
彼のまっすぐな視線に耐えられず目を背ける。
「…いや。俺こそ気遣ってやれずすまなかった。」
「とんでもないです!集中できてなかったことが原因です。この程度、少し休めば十分です。」
は眉をハの字にして冨岡を見上げたが、"悪化したらいけない"と、どこからか治療道具を出し手当をしてくれた。
ーー
キュルルル…
「!」
突然の音に冨岡さんと目が合う。
彼は一瞬私の足首に包帯を巻く手を止めたが、何事もなかったようにすぐに再開した。
「あの…よかったら、今度お礼にご飯を作らせていただいても良いですか?」
しのぶちゃんから、冨岡さんはひとり暮らしで外食ばかりと聞いていた。
栄養が偏っていないか心配だったため、これを好機ととらえ訊ねてみた。
「…では今度頼む。今日は休め。」
腹の虫が鳴った張本人は恥ずかしかったのか、先ほどより小さな声で了承してくれた。
「冨岡さん」
「なんだ」
可笑しくて笑いそうになってしまって、
押さえきれなかったので苦し紛れに名前を呼んでみた。
「なんでもありません」