第1章 :青嵐と不安と潮騒(彼女の世界と彼の世界)
一歩足を踏み入れれば二度と戻ってこられない、そう不安にさせるほど、深い色をしているせいかは分からないけれど。自分から海を見たいと言ったくせに可怪しなものなのだが。
波打ち際で遊びはじめた友人は、のろのろと向かってくる彼女に楽しそうに腕を振って呼ぶ。
「早く早く! あ、靴は脱いだほうがいいよ。濡れてびちゃびちゃなまま観光したくないでしょ?」
「忘れてた」
呼ばれるままにほとんど無意識だった。気乗りしないが、パンプスを脱いで彼女はズボンを膝小僧まで捲った。
太陽で焼けた砂浜は丁度よい温かさだった。夏本番であったなら裸足では熱過ぎて歩けないだろう。そんなことを思いながら友人のそばまで歩いていった。
ひやりと冷たい波打ち際の砂浜。寄せてきた波が彼女の足許を覆っては返っていく。外気の暑さとの差が気持ちよくて、口許に笑みが零れた。
「冷たくて気持ちいい」
妙な不安は杞憂だったらしい。
「よかった、笑ってくれて。なんか浮かない顔してたから、無理させちゃったのかなって思ってた」
「ううん、ちょっと考え事してただけなの」
「だよね。だって去年海へ泳ぎにいったとき、楽しそうだったもん。嫌いなわけないし、泳げないわけじゃないし、どうしたんだろうって心配しちゃったじゃん」
「ごめん、ごめん。休み前に上に提出した報告書のことが、ちょっと心配になっちゃって」
友人は、「もう!」と可愛らしく足を踏み鳴らす。「仕事の話はなしだよ! せっかくの連休なんだから忘れて楽しもうよ!」
「だよね! いまから忘れる!」
彼女は元気に返事してみせた。本当は仕事のことなど頭になかったけれど。
「会社の連中のお土産さ、何がいいかな?」
「鎌倉といったら鳩サブレー?」
首をかしげて彼女は提案した。
「なんか定番中の定番って感じ。捻りがないな~」友人は急に腰を曲げて浜辺に手を伸ばす。「綺麗な貝殻みっけ!」
「定番だから安定してていいんじゃない。美味しいし、私は好きだけどな」
「が言うならそれでいっか。土産物巡りも疲れるし」
海上をのびやかに飛行する鳶に気を取られていたら、少しばかり大きめの波が脚を打ちつけてきた。