第3章 薄月
「櫻井先生…おはようございます」
蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
振り返ると、3年の五関が立っていた。
「おう!五関、おはよう!」
はにかんだように少し笑うと、五関は生徒玄関へ向かった。
その足取りはしっかりとしていた。
良かった…本当に教室に通えるようになったんだ。
「五関!」
思わず、後ろ姿に声をかけた。
びくっと少し飛び上がるように驚いて、恐る恐る俺のほうに顔を向けた。
「おまえは強い。見てるからな」
それだけ言うと、ちょっと驚いた顔をして…
それからすぐに意味を理解したのか、もともと泣きそうな顔なんだが、更に泣きそうな顔をしてペコリと頭を下げた。
そのまま小走りで、生徒玄関へ消えていった。
「…そうだ…強いんだぞ、おまえは…」
あれほど陰湿ないじめから立ち直ったんだ。
おまえは、強い。
俺は、今までの人生でいじめを受けたことがない。
したことだってない。
とても周囲に恵まれていたんだと思う。
だけど教員免許を取って、卒論のテーマを「現代におけるいじめ問題」として、いろいろと文献を調べたり、教師になった先輩に話を聞きに行ったり…母校への実習も行った。
調べれば調べるほど、深みに嵌っていった。
まるで、自分がいじめを体験したかのような錯覚に陥ることもあった。