第1章 狐月
「…な?だから保健室行こうぜ…?せんせー…」
大野の呆れたような声が聞こえた。
その時、本鈴が鳴った。
「せんせー…?」
こんな大量の血が、自分から流れ出るのを見たのは初めてだった。
しかし俺は、教師だ。
そしてコイツの担任だ。
捕まえたからには責任を全うせねば。
「いや、大野が遅刻になるから…」
「俺のことなんていいよ…どうせ、遅刻だらけだし」
「だからだろ!ほら、教室行くぞ!」
また手首を掴んで歩き出した。
さっきまでちょっと抵抗を感じたが、今は素直についてくる。
「…先生、血…拭いたら…?」
そう言って、大野はポケットからティッシュを出してきた。
「お…すまんな…」
受け取ったが、大野の手首を掴んだままだから出せない。
校門から入って、門を閉めて。
急いで大野を生徒玄関に放り込んだ。
「先生。俺、ちゃんと教室行くから。保健室行ってきなよ。その顔だとみんなびっくりする…っていうか、バ…」
そう言ったまま、言いにくそうに口を閉じた。
ああ…俺はどんくさいさ。
それで生徒に密かに馬鹿にされているのも知っている。
E組の櫻井は、どんくさい上にダサいってな。
「き…気にする、と思う…」
「…ああ…わかった」
大野なりに、なんだか気を使ってくれているようだ。
「教室、ちゃんと行けよ?後から行くから」
「はい…」
トボトボと下足箱の間に消えていく丸い背中を見送った。
「はうっ…」
大野の猫背が見えなくなったら、急に額やらどこやらが痛み始めた。
「こ、これは…いかん…」
額からたらりとなにか液体が滴っているのも、認めたくないけども多分、血だろう。
こんな姿を見せたら、生徒たちにバカにされるに決まっている。
急いで職員玄関で靴を履き替えて、保健室に駆け込んだ。
「あいっ…相葉先生っ…急患ですっ…」