第8章 遠く想ふ君たちへ
お館様の屋敷を出て、私は烏を蝶屋敷に飛ばした。帰りが遅くなることを伝えるために。妹のしのぶには、勝手なことばかりしてと怒られるかもしれない。
ああ、心配だわ。
流行る心が足を急がせる。霧雨さん。今日の会議にいらっしゃらなかったけれど。木谷さんがあんなことになってしまって、落ち込んでるんじゃないかしら。
だってあんなに仲良しだったんだもの。きっと報せはあの人の耳にも届いているだろうし。
私は急いだけれど、物理的な距離もあるのでやはり時間がかかった。
太陽が天高く輝く真昼間に到着した。
「霧雨さん」
玄関を叩く。
反応がなかった。
…留守かしら。
「なぜあなたがここにいるのですか」
いきなり後ろから声をかけられて、反射的に振り返った。
そこにいたのはこの屋敷の主の霧雨さんだった。霧雨さんは水にびっしょりを濡れていて、なぜか上半身が胸元を隠す晒だけだった。
「何をなさっているんですか?」
ぎょっとして尋ねると、霧雨さんは答えずに乱暴に右腕で汗をぬぐった。
その手は、真っ赤な血で染まっていた。
「!!まさか怪我を!?」
治療しようと手を伸ばすとパシ、と払われた。
「私に触らないでください」
確かな威圧を感じ、私は怯んでしまった。
「少し切れただけです。」
霧雨さんはそう言った。
「あの…会議でのことを、お伝えしたくて参ったのですが…。」
「けっこうですよ。どうせいつも通りでしょう。」
「いえ…その、木谷さんの。」
その名前を出したとたん、霧雨さんは大きなため息を吐き出した。
「報せなら聞きましたが。」
相変わらずにこにこと微笑みを浮かべている姿に、少しだけ不気味さを感じた。