第37章 どうか俺の
浮力のお陰か、彼女は軽かった。俺は自分の二の腕に彼女を乗せ、両足を抱えるようにして支える。エリは素直に、頭の後ろへ腕を回してくれていた。
すぐに彼女をプールサイドに降ろしてやろうと、ザブ と1歩進んだのだが…
俺の足は、止まってしまった。
エリも、不思議そうに俺を見下げている。
だって、思ってしまったのだ。
離れたくないな、なんて。
いま手離してしまえば、こんなふうにエリを近くに感じられる機会は…もう訪れないかもしれない。
こんな、抱き合う みたいなシチュエーション。
俺は、ザブザブとプールの中心に向かって歩き出した。エリは慌てた様子で俺にしがみついてバランスを取る。
難無く 目的地と到着した俺に、彼女は言う。
『ちょ、万理!?どういう事?何でこんな真ん中に来たの?』
「ははは」
『はははじゃないよ!ほら、早くあがろう?』
「嫌だ」
『…え?』
「俺がもし、嫌だ。上がりたくないって言ったら…どうする?」
至近距離で、視線がぶつかる。
その刹那、たしかに俺とエリの時は 止まった。
瞬く星も。水面を滑る波紋も。虫の鳴き声も風の騒めきも。全てが静止した。いま動いているのは、俺と彼女の 心臓のみ。
『…珍しいねって、答える』
「?」
『万理が、嫌だ。なんて言うのは、珍しいねって答えるの。
その後は… 嬉しいって 答える。万理の初めてのワガママ、聞けて嬉しいって』
「…それから?」
『それから…こう続けるかな。
私は、そんな万理のワガママを 叶えてあげたい。って』
エリの髪についた雫が ぽたりぽたりと、俺の額に落ちてくる。彼女の滑らかな肌を伝う水滴は、顎先から落下して俺の唇を濡らした。
まるで吸い込まれるように、彼女との距離を詰める。顔を目一杯 上に上げて エリの瞳を覗き込んだ。
どうしても…彼女の唇の感触が知りたい。
俺は今さぞかし、せがむ様な表情をしているに違いない。だって、エリの顔が少しずつ降りてきたから。困惑と慈愛の入り混じった表情。俺の願いを聞き届けんとしてくれているのだろうか。
ゆっくりと瞼を下ろし、互いで互いとの距離を詰めてゆく。
たしかなキスの気配を知った、そんな 16歳、夏。