第86章 あの人に近付いちゃ駄目だ
ほんの少しだけ、気分が悪い。人混みに酔ったのだろうか?なんて考えてみるけれど、本当の理由など分かりきってる。
『…月雲了。なんて、気味の悪い男』
廊下を行きながら、独りごちる。
へばり付くような視線。ねっとりとした話し方。人を嘲る態度に、傲慢な思考。そのどれもが、私の癪に触った。
思わず、今後のツクモの命運を心配してしまうほどだ。あの社長に組織を任せるなど、正気の沙汰とは思えない。
本当なら外の空気でも吸いたかったが、そうもいかない。代替案として私は、ちょっとでも人の少ない廊下を歩いていた。
そこで見つけたのは、白と銀からなる、神様みたいに綺麗な男だった。
同じ神でも、了のような死神とは違う。天国にいるような神だ。その涼しげな声をぜひとも拝聴したいところだったが、彼は歓談中。
残念ではあるが、その神々しい姿を一目見れただけでも心が洗われたようだ。
私は そっと合掌して、その場を後にした。
しかし。
神は、私の腕を がしっと掴んだ。
「ちょっと春人ちゃん。さっきのなに」
『…千さん』
「手を合わせて、何してたの?気になって、思わず追い掛けたくなっちゃった」
『それは、すみません。つい、貴方の姿を見たら拝みたくなってしまって』
「っぷ、ふふ…!なに、それ。僕の事、お地蔵様か何かだと思ってる?」
千が笑うと、長い白銀の髪がキラキラと揺れる。そんな情景を見つめていたら、どことなく心の中のモヤモヤが晴れていく心地だった。
『お地蔵って言うより…もっとこう、綺麗系な神様』
「君、本当に僕の見た目が好きだな。もう僕のになっちゃえばいいのに」
あっさりと言い放った千に、今度は私が笑う番だった。