第76章 知らず知らずの内に、同じ女に惚れていたんだな
パニックになった頭を落ち着ける為に、わざとゆっくりとした歩みでステージへと向かう。
その間、MAKAがMCで繋ぐ。
《 楽は、すっごく良い声で歌うの!作曲家さんは、ピアノがとてもクールなのよ!みんな、彼らの曲が聴きたいわよね! 》
「……やっぱ、そういう流れだよな」
『今なら分かります。ステージに用意されたピアノは、私の為の物だったんですね』
テレビ中継されていないとはいえ、私が顔を晒すのはよろしくない。おそらく、いずれはこのライブがDVDとして販売されるだろう。ピアノを弾く私の姿が、Lioを探す者の目に触れる可能性だって多いにある。
私は胸ポケットから白のハンカチーフを引き抜いて、それを三角に折る。端と端を後ろ頭で結び、顔の下半分を覆い隠した。
「まぁ、こうなったらしゃーないよな。俺は何を歌えばいい?ここは、あんたの指示に従う」
『…指示を仰いでくれるのは、非常にありがたいのですが。
残念ながら、TRIGGERの曲は ここでは使えません』
「は?」
相変わらず、彼は笑顔を保っていたが。その声は明らかに焦ったものだった。
しかし、焦る気持ちは私も同じ。なにせ、ステージはもう目の前なのだ。
歩みを進めながら、楽と私は擦り合わせを続ける。
「TRIGGERの曲以外、何を歌えってんだ。何でも良いだろ!デビュー曲でも、お前が作った曲でも、何か一曲歌えば」
『だから、駄目なんですって。
貴方もプロなら分かるでしょう。TRIGGERの歌は、勝手に使う事が出来ないんです!』
「……っチ、版権か」
『その通りです。TRIGGERの楽曲全ての版権は、八乙女プロダクションにある。歌いたいからと言って、勝手に歌って良いものではない』
「っんなの、おかしいだろ。俺はTRIGGERの一員なんだ。どうしてその俺が、歌いたい時に歌えねぇ!」
『そんな事を私に言われても困ります。この世界の常識だ、としか答えられません。
たしかにTRIGGERの曲は、貴方や天や龍の物です。ですが、版権が八乙女プロにある限り、許可なくして歌えない。
たとえ、貴方がたにしか歌えない曲だったとしても。私が作った曲だったとしても。自由に使う権利は、私達にはないんですよ』