第2章 センラ
「しるし、残したかったんです。ここに来たっていう証」
もう、二度と来れないだろうから。あなたに私の存在を少しでも残しておきたかった。そう言ったら、きっとセンラさんは呆れるんだろう。
「そんなん。残さんでええよ」
ほら。やっぱり。嫌がった。
沈む気持ちを必死に押し殺そうとすれば、センラさんの手が私のアゴにふれる。ゆっくりと顔をあげさせられて、泣きそうな面のまま彼と向き合った。
無表情で見つめる彼の目が僅かに細められる。そのまま、顔が近付いたと思ったら柔らかな唇が口に重なった。
思わぬキスにビクリと体が跳ねる。それを感じたセンラさんがすぐに唇を離した。
「まだ、あと二分あるやん」
甘えるように。どこか、拗ねるように。言い訳がましくそう口にした。自然とまぶたを落とした私に彼の柔らかな唇が降り注ぐ。角度を変えて、何度も、何度も。
舌をいれないで優しく、ふれては離れてを繰り返した。
「本当に、これでもう終いやね」
名残惜しそうにそう彼は言った。少しでも私を求めてくれたと思い上がってもいいのだろうか?
そうだったら嬉しい。だからその顔をみれただけで、もう十分な気がした。
「送迎車、待たせてるんやない?」
そんなセンラさんの一言によって慌ただしく彼の家を飛び出した。最後の余韻にも浸れぬまま、私の初勤務はあっさりと幕を閉じた。
※※※
事務所へと戻ればやけに機嫌の良い課長の声が聞こえた。今日はこの人のおかげで散々な目にあった。
そう、上司に今日の失態を責任転嫁しつつ、いまだ誰かと通話を続ける彼のデスクへと近付く。
「はい。では、改めまして。明日ですね。もちろん、大丈夫でございますぅ。…はい。はい、いえいえ!こちらこそ、本日は大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません。また、なにとぞご贔屓に。よろしくお願いしますぅ。では、失礼いたします」