第1章 あほの坂田(となりの坂田)
その後はバタバタと慌しく時間が過ぎていった。部屋の片付け、掃除、大量の洗濯。ひと部屋ひと部屋作業を終わらせていき、残りわずかとなったところでふと、歌声がしていることに気付く。
いつからだろうか?家事に夢中で全く気がつかなかった。
こっそりと声のする方へ足を運ぶ。いつもは閉めっぱなしの防音室が少しばかり開いていた。
高めの愛らしい声色。どこかあざとさを感じさせるその声にギターの音色が重なる。
そういえば、彼の本職は歌だった。扉のすぐ隣に座り込みながら、彼の声に聞き惚れる。
1番だけ歌い終わると、今度は違う曲調の歌をうたいだした。
先程までとはまるで違う。低い、がなり。乱暴にコードを弾く音。男らしい、どこか獣くさくも感じる歌い方に鳥肌がたった。さっきまでのかわいい、少年のような無垢な声と同じ人物とは思えなかった。それほど、曲によって彼の声はガラリと変わった。
ノリの良い曲では声をはって、楽しそうに時におふざけもいれながら歌っている。本当に、心からうたうことが好きなんだ、そう感じた。
悲しい歌詞の続くバラードでは絞り出して歌うように、声を震わせ、泣きそうな声色を作り出す。切なく、胸を締め付けられた。
彼の声にのせた心憂い気持ちにつられて、涙がひとつ、ふたつとこぼれた。声にこんなにも感情が宿るんだと驚嘆さえした。
いつの間にか、声が止んでいることに私は気がつかなかった。目の前の扉が大きく開かれて、そこから出てきた坂田さんが私をみつければ、驚いたというような顔をする。
「え?なになに?またなんかあったん?」
また、とは前回の菊江さんのことを言っているのだろう。そうではない、と首を横にふれば、坂田さんの温かい手が優しく私の頬を包んだ。
「坂田さんの歌声聞いたら。感動して」