第2章 センラ
「公園横に停車した車から、人が降りた」
私の声を聞いて、センラさんがコクリとツバを飲み込むのがわかった。外に逃げる事は出来ない。車から降りて来た人物に見つかってしまう。
洋式トイレの扉を素早く開けた。ギィィと蝶番が錆びて、軋む音が響く。
「個室はあかんよ!すぐにバレるで?用具入れとか隠れられへん?あと、イヤホンあったら通話繋いだままイヤホンに切り替えて!なかったらこっちの音ださんようにするから」
センラさんの指示に従って個室に入ろうとした手を止めた。一番奥の掃除用具入れを開ける。中にはモップが三本、バラバラに収納されており、バケツが重なって置かれていた。そこにかけられた雑巾からは異様な悪臭が漂ってくる。
しかし、そんな事もいってられない。モップを端に揃えて、わずかにできた隙間に体を潜らせる。重なったバケツを二つに分けて、下の隙間から足先が見えてしまわないように細工した。
扉を閉めると今度は鞄からイヤホンを取り出してスマホに繋ぐ。これで、センラさんの声は私の耳元にしか届かなくなった。
「話せない状況だったら、はい、はスマホのマイクにトンって一回指で叩いて。いいえ、は二回、マイク、叩いて。まず、イヤホンはあったん?」
彼の質問にはい、の意味をこめてトンっと一回爪をたてる。
「装着できてる?」
トンっと一回、また小さく合図した。
「相手はまだこっち来てないん?」
来てない。から、ハイの意味を込めて一度叩こうと指をたてる。すると、足音が少しずつこちらに近付いて来るのがわかった。思わず二回、指で弾いた。
「マジか…」
センラさんの声にいつになく緊張が走ったのがわかる。
その足音は自分の壁の後ろ、つまりは男性トイレへと進んでいった。用を足す水音を聞きながら胸を撫で下ろす。
よかった。ただ、トイレを使用したいだけだったみたいだ。壁の向こう側にいる人物が去ったらセンラさんに報告しよう。大丈夫でした、と。ちゃんと、自分の声で。