第1章 あほの坂田(となりの坂田)
人間は元来自分勝手な生き物だから。どうしたってその邪な欲が表にでやすいし、言葉の節々にトゲを持たせる事はいともたやすい。その言い方に攻撃性を無くそうと意識していたとしても、それを完璧に、常に実現するのは雨夜の月のように困難を示すものなのだ。
しかし、彼はそれを容易に実行してみせる。相手を卑下する物言いも、嫌味な言葉も。相手を懲らしめたいという欲求からくる攻撃的な言い方も。どれも、彼にとっては縁遠いものに感じた。
「私は、坂田さんほど優しい言葉を使う人をみたことがありません」
「そう?俺、あの時空気読めてない言い方したなって後から反省することあるで。考えずにポロっと言っちゃうこと多いんよ」
「例えば。その空気が読めないって事が、テンションが上がって周りが見えにくくなってしまうってことだったり。話したい事に夢中になって1人よがりに話してしまったとか、そういう事だったら、それは誰しも起こりうることだと思うんです。人はそんなに完璧に相手の気持ちや周りの空気ばかり察せるものではないし。それに…」
「…それに?なに?」
言い淀む私の手を坂田さんが優しく包む。小さく一呼吸してから続きを言葉にした。
「完璧じゃないからこそ、いびつで上手くいかなくて悶えている人の気持ちがよくわかる。そういう人に寄り添って、あったかい言葉で元気にしてくれる。坂田さんって春の陽だまりみたいな、心をぽかぽかにしてくれる人だなって思っていて。私、最初のお客さんがそんな、優しい人で良かったです」
息継ぎさえ疎かにまくしたてれば、彼の表情に笑みが戻ってきた。まるでスローモーションのように距離が縮まり互いの額がコツリと当たる。
「なんや、そんなん言われたらくすぐったいな。普通に照れるわ」
囁くように、吐息混じりの柔らかい声と共に息が唇にかかる。互いの唇が重なれば、深く交わるまでに時間はかからなかった。