第2章 センラ
この人は年齢こそ同じだがセンラさんとは全く違う。
今思えば、センラさんは当たり前に身なりを気にしていた。髭が伸びているところなど見たことがないし、服からはいつも洗いたての洗剤の香りがした。抱きしめられるといつも香る、爽やかでどこか上品な香水の匂い。
思い出して、彼に会いたくなった。早く、明日になってほしい。平穏に明日を迎えたい。いつも通りにセンラさんに会いに行きたい。その為だったら、なんだって出来る気がした。
伸びっぱなしの爪の中に得体の知れない黒い汚れ。男のその手を見つめながら、私は意を決する。
信号で車が停止した。男はその隙を狙ってまた、ナビを操作し始める。画面へ釘付けになっている様子を確認して、私はドライブの状態になっているシフトレバーをパーキングブレーキへと一気に動かした。
「は?え?なになに?」
男が戸惑ってレバーに視線を向けている内に自分のシートベルトを外す。外に出ようとドアハンドルに手をかけた。その時だ。
男の手が私の方へのびた。その手の甲に鞄に入りっぱなしになっていたボールペンの先を突き刺す。「イタッ!」という男の声を最後に私は外へと脱出した。車と反対方向の歩道まで渡り、そこからはただ、ひたすら走った。
走って、走って、走って。
静まり返った住宅街に私の息切れだけが響いているように感じた。時折、後ろを振り返ってあの車が戻ってこないか目視した。
あの男の車は白のワゴンタイプ。車の種類までは流石に見れなかったが、スポーツタイプのセダン形に大きなトランクを付け足したような形状だ。
それに近い形の車が一台。こちらに向かって走ってくる。思わず、マンションの横にある駐車場へと駆け込んだ。停車してある車と車の間に座り込み、ジッと身を縮ませて様子を伺う。
車のライトが一面に広がる。その眩しさに思わず瞳を閉じた。スピードを緩めることなく、直進したままやがてそれは姿を消した。
また、真っ暗な世界へと戻ると安堵のため息が溢れた。外の風の冷たさで酔いも幾分さめてきたようだ。