第36章 たぬき
夕食前にクロさん家を出て歩き出すと
前方から愛おしい影が歩いてくるのが見える。
ゲームに視線を落として。
なのに周りが見えていて、ぶつかったりしない。
「あ、穂波」
靴が見えたのかな、研磨くんがこっちを向く。
「風に乗って穂波の匂いがした」
『…ん。 練習お疲れさま』
「…ん」
あああ
一緒に歩きたい。
でも、逆方向。
「穂波も家帰ってやることあるし。寒いし。また明日ね」
わたしの脳内を読み取ったのか研磨くんが優しい声でそう言う。
「その前に、一回だけ」
肩に手を添えて少し身体をかがめ
研磨くんの唇が触れる。
離れたかと思ったら、もう一度。
長く、甘く、ゆったりとした極上のもう一度。
キスだけでとろけてしまう。
「…ん。これ以上は欲しくなっちゃうから。気をつけて帰ってね。
ていうかクロ送ってかないの」
『あ、うん。お断りしたよ』
「…そっか。 …おれの自転車乗ってく?」
『…ん、そうする』
別に急いでるわけでも、夜道が不安なわけでもなくて。
ただ、研磨くんと少しでも長く居たいから。
「3人減るとまた、必然的に動く量が多い」
『…そっか』
「あと今日、マネージャー希望の人が2人来た」
『おっ、やったね。春高、すごいなぁ』
「しばらく体験して、それからどうするかなんだけど」
『うん』
「穂波、明日だけでも来れない?
犬岡が教える方に回ると人足りなくて」
『え、わたし?』
「うん、穂波ちゃんとできてるから、いつも」
『…わたしでよければ、うん。明日なら』
「…ん。ありがと」
研磨くんは監督、コーチ、3年生からの全票を獲得してしまい、
今日から主将なのである。
副主将は山本くん。
器用な福永くんの副主将も捨て難いけど、
流石に研磨くんと福永くんのペアだと…ってことになったらしい。
山本くんが研磨くんの足りないとこ、
苦手なとこをばっちり補完してくれるだろうし…
すっごく楽しみ。
山本くんって、本当に優しくて丁寧な人なんだよな。
あのレシーブにそれが表れてるな、って思う。
それに加えてマネージャー入部の予感…!
新生音駒バレー部も楽しみだな。