第5章 水の音
ーーー黒崎は結局、忘れられないでいる。
その子は、真っ直ぐな長い髪が印象的だった。
忘れられないのは、控えめな笑顔。
・・・そういえばいつも声が小さかった気がする。
聞き逃したのか、
発せられる音が無かったのか、
どちらにしても、
そんなことを考え出したのは、
もう二度とその声を聞くことができなくなってからだった。
でもそんなことはもうどうでもよくて。
気付かなかった事実だけが漠然と俺の前に出現したときに、
それは世界を一瞬で水の入った箱に変えた。
息のできない世界。
この世の中に何人の人がその世界を経験したことがあるのだろう・・・
苦しく切羽詰まったその日常で僕は変化する。
自分のような人間に気付けるはずもなかったのだ。
愚かで何一つ大切にできない生き物だった。
無力な魚だと思い知ったその日から、息苦しさは消えた。
自分を落とすところまで落としてしまえば、楽になるものだ。
「ぴちゃ…」と水音が響く。
右手の触れた先は溢れていた。