第9章 この気持ちの名前
暖かいお湯に布を浸す。
それを絞って、身体を拭く。
布から伝わる熱が、逆に身体を涼しくしてくれる。
「気持ちいー…」
勇姫は嬉しそうにゆっくりと自分の身体を拭いていく。
余計な肉の付いていない、細身の身体。
身体のあちこちに点在するいくつもの傷が、彼女のこれまでの激しい闘いを物語っている。
そして、その中でも一際大きく刻まれた、左手に走る三本の傷。
着替えの時などは極力見ないようにしているが、風呂や清拭の時はどうしても目に入ってしまう。
「…………」
黙ったまま傷を見つめ、左手も拭いていく。
ズキ、ズキ、ズキ…
傷自体は痛くないのだ。でも、脳が痛みを指示する。
ズキ、ズキ、ズキ…
勇姫は眉を潜めた。
身体を拭き終えさっぱりした勇姫は部屋着に着替えた。
昨日の不在時にお婆さんが洗濯しておいてくれた部屋着はぴしっとしており、「ありがとうございます」と呟いて勇姫は袖を通す。
着替えが終わると文机の上に置いておいた小箱を手に取った。
昨日しのぶから貰ったものだ。
蓋を開けると塗香(ずこう)が入っている。
その落ち着いた香りに「素敵」と笑みが溢れる。
ごく少量を手に取り、左手にそっとまぶして傷の辺りに広げる。
ズキズキとした痛みが和らぎ、すぅ…と消えていった。
「おお…、流石は胡蝶様。」
勇姫は感嘆の声を上げるが、ただの気持ちの問題だと解っている。
でも、本当に痛みが無くなる(気がする)のだから、しのぶの塗香は勇姫にとって傷薬以上の効果があるのだ。
小箱の蓋を閉めた時、「お食事でございます」と部屋の前から声がかかった。