第1章 序
勇姫の記憶
「あの日」はとにかく、とても暑かった。
勇姫の家は山奥にあるので、毎年夏でも涼しく快適にすごせるのだが、この年は違った。
毎日の様に日照りが続き、家の裏で育てていた作物も殆ど育たず、両親は仕事を増やし、いつも以上に忙しくなった。
そんな中、勇姫はお姉さんなのだからしっかりしなきゃと自分に言い聞かせ、幼い妹の面倒をみていた。
しかし、勇姫はまだこの時十歳。
口には出さなかったが、両親からの愛に飢えてもいた。
妹を着替えさせながら、歳に似合わないような溜息を、こっそりつくこともあった。
そんなある日の夜。
暑くて暑くて、自分の呼吸ですら暑く感じられて、勇姫は全く寝られなかった。
しばらくはそれでも布団に居たのだが、たまらなくなって、勇姫は隣ですやすやと眠る妹を起こさないように布団からするりと抜け出した。
「夜は家から出ては駄目よ」と、母からきつく言われていたが、勇姫はそっと家を抜け出して、近くの小高い丘へ向かった。
そこには大きな岩があり、勇姫はその上にちょこんと座った。
見上げると満天の星空。
この、自分を含め何もかもが吸い込まれていく様な星空が、勇姫は大好きだった。
一人になれる時間。
どこまでも広がる星空を見上げて、思うままに心を解き放てる時間。
きっと、幼い心を張り詰めていた勇姫には、必要な時間だったのだろう。
座っていたはずの勇姫は、いつの間にか寝ていた。
通り抜ける風を感じてふと目を覚ますともう夜明け間近だった。
慌てて飛び起きたが、岩の上で寝ていたので身体中が悲鳴を上げた。
「いたっ…!」
小さな悲鳴を発して岩から降り、痛む背中をかばいながら家へ向かって走った。
「うわぁ…母さんに怒られる…」
走りながら呟き、母への言い訳を考えていた。
しかし、帰宅したら母はもう生きていなかった。
母も、父も、妹も、血溜まりの中に居た。
怒られた方がどれだけよかっただろう。
ねぇ、私を怒ってよ。
ひっぱたいてもいいよ。お説教も聞くよ。
…なんで動かないの。
目の前で紅く染まっている大切な家族。
そして、にやりと笑う…鬼。
勇姫はただそれを見つめていた。