第1章 夏に金魚の例えもあるさ【煉獄杏寿郎】
「……それ、は」
『今だけ、今だけで良いのです。
どうか、名前を呼ばせてください』
瞬間、わたしの鼻孔はどこか懐かしい匂いで満たされた。
ああ、これは、煉獄さんの匂いだ。
鍛練をした後に、少し休もう、今日は夕日がやけに綺麗だ、と目を細めていた煉獄さん。
任務に向かうその背を見送るわたしに、振り返って手を振った、煉獄さん。
熱を出したわたしを心配そうに見つめて、目が合うと微笑んだ、煉獄さん。
わたしは、いつから、好きになったんだろう。
「……杏寿郎だ」
『……はい』
「呼んで、みるといい」
『……杏寿郎、さん』
つたない響きだったと思う。
何せわたしは、彼の背に腕を回すことすら忘れて、ただひたすらに、その匂いに溺れないように、必死だったから。
抱き締められていることすら信じられずに、なんだか、泣きそうになったから。
「もう一度、呼んでくれ」
『杏寿郎さん』
「……すまない。
本当に、すまない。
俺も君を、好いているんだ」