第1章 夏に金魚の例えもあるさ【煉獄杏寿郎】
「帰ろうか」
『はい』
どちらからともなく、歩き出した。
すっかり空は闇色になっていて、真っ暗な夜道は少し、怖い。
あんなにも、好きだとか何とか言ったのに、唇まで合わせたのに、そのあとは案外あっさりなんだと思った。
「……ずっと」
『え?』
「ずっと、君に名前を呼んでほしかった。
いつも、君に名前を呼ばれる千寿郎が、少し羨ましかった」
『……そう、だったんですか』
なーんだ。
なんだ、なーんだ、なんだよ、もう。
そうだったんだ。
『杏寿郎さん』
「なんだ?」
『杏寿郎さん、大好きです』
夜目に映る彼は、なぜだか泣きそうな顔をしていた。
からん、からんからんからん、ころん。
下駄の底が鳴る。
わたしは、努めて微笑む。
俺もだ。
その返事は、わたしの唇の上で紡がれた。
fin.