第8章 お招き
「蚊?」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
まだ蚊が飛ぶ時期には早い気がするし、刺された記憶もない。
「ここですよ」
沖矢さんがトントン、と首を軽くつつく。
けれどそこは何も違和感がないし痒くもない。
私は鞄から手鏡を取り出して首元を見た。
赤い点が咲いていた
これは…
私は昨日のことを思い出す。
夕飯を食べてテレビを見ていたら急にキスをされ首元に吸いつかれた。
彼がキスの時にこれを付けてくることは珍しいことではないのであまり気にしていなかったのだが、
「あ、ほんとですね…いつ刺されたんだろ…」
「蚊にしてはかなり濃く痕がついてますが、お気づきにならなかったんですか?」
「ええ、もしかしたら寝てる時かもしれません」
「かなり強く吸われたんですね」
これ、と沖矢さんはそれを指でなぞる。
それがくすぐったくて思わず体が反応する。
「あ、すいません。つい、気になってしまって」
「いえ、教えてくれてありがとうございます」
「もし普段から吸われやすいようでしたら、ちゃんと対処した方がいいですよ」
「あんまりそういう体質ではないと思うんですけど。続くようでしたら考えます」
「ええ、是非そうしてください」
これは次されるようだったらしっかり言おう。
夏ではない時にこの真っ赤な痕は不自然過ぎる。
夕方になってそろそろ帰る、と言って送ってくれると言われたがまだ明るいので大丈夫だと断った。
沖矢さんやっぱり話しやすい人だし、いつも落ち着きがあるな、と家への帰り道で思った。
カホが帰った後の工藤邸では沖矢昴がカホがくれたカップケーキを眺めていた。
1つを取って口に入れると、コーヒーの苦味とほんのり香るカカオが口の中に広がる。
懐かしいな
もう二度と味わえないと思っていたがな
沖矢は1つのカップケーキをゆっくりと時間をかけて味わった。
キッチンに立ったままマッチで煙草に火をつける。
ふー、と息を吐き白い煙が現れる。
─あ、ほんとですね…いつ刺されたんだろ…─
彼女の首元についた痕。
あれは蚊に刺されなんかじゃない。
自分も同じ場所に何度も付けていたから分かる。