第26章 それぞれの気持ち
「カウンターでもいいか?」
カホの方を向いて扉を開けて入ってきた男は尋ねる。
カホは、ハッと元に戻して急いで手を洗って彼の元に駆け寄る。
「はい、大丈夫です!その前に…昨日は本当にありがとうございました!」
カホは彼の前に立つやいなや深く頭を下げた。
突然のカホの行動に周りの客はチラチラと2人の方を見ている。
「それは昨日十分聞いたさ。頭を上げてくれ。周りが見てるぞ」
その言葉にカホは今度は勢い良く頭を上げ周りを見渡す。
いくつかの視線がカホと交わっては逸らされた。
「あ、ごめんなさい。えっと…ご案内します」
カホはなんだか恥ずかしくなって顔を赤く染めた。
いつもスムーズに席へと案内する彼女だが今日は行動がたどたどしい。
その様子を見ながらカホの後ろを歩く赤井の機嫌は、ここを訪れた今までの中で1番良さそうに見えた。
カホは厨房に再び入って皿洗いを再開した。
しかし目の前にいる赤井の存在が気になってしまい時々チラッと彼を横目で見てしまう。
赤井が来たらまずはお礼を言おうと決めていたカホ。
しかし赤井が視界に入った途端にカホの心臓は騒がしくなる。
落ち着ついて、今はバイト中…バイト中なんだから
心で何度もそう唱える。
しかしその効果はあったのかどうか、
「お待たせしました」
赤井に別のバイトの子がコーヒーを出す。
それを一口飲んで赤井はその手を止めた。
美味しい、十分に美味しいのだが目の前のコーヒーに何か物足りなさを感じた。
後味なのか、風味なのかは分からないが、いつものコーヒーとは少し違う。
人それぞれコーヒーの淹れ方は違うのだから多少の変化があるのは当たり前。
けれどここに来てからカホの淹れたコーヒーしか飲んでいなかった赤井はすっかりその味を気に入ってしまっていた。
だから恐らく普通の人なら気づかないような変化でさえも赤井は敏感に気づいた。
ふと赤井は厨房の中にいるカホの姿を見た。
昨日の事でトラウマや何かを持たせてしまってはないかと心配していた赤井。
しかしカフェで自分を出迎えてくれた彼女の笑顔はいつもと変わっていなかった。
その笑顔を見て赤井はそっと胸を撫で下ろした。