第63章 大正“悲劇”ー始ー
今日はいい天気なので。
無一郎くんが自分を追い詰めるように鍛錬をするので。
息抜きをさせてあげたかったので。
そんな理由を頭に思い浮かべて、言い訳まがいなことを思いながら無一郎くんと道を歩いた。
「懐かしいですね。君を連れてこの道を歩くのはいつぶりでしょうか。」
「…そんなことありました?」
無一郎くんが首を傾げる。やはり覚えていないらしい。
けれど、きっと。いつか君は思い出すのですよ。
忘れられる痛みなどないのですから。
忘れられる苦しみも悲しみも悪夢も現実も怪我も全て君の中にあるのですから。
でもね。
きっと君も、いつか仲間に出会って、大切なものを見つけて、いつか、苦しみも悲しみも痛みも、何もかもが。
巡り巡って幸せになるのですよ。
「私は君と、手を繋いであの屋敷まで歩いたのですよ。始めてきたときはあんなに小さな子供でしたのに、たくましくなったものです。」
「…そうなんですか。」
無一郎くんはぎゅっと私の手を握ってきました。
「忘れたので、もう一回いいですか。」
「はい、良いですよ。」
私はその手を握り返して歩を進めました。無一郎くんの手が暖かいのが、なんだか嬉しく思いました。
「師範。さっきはすみませんでした。」
「いいんですよ。でも、駒は一つでも欠けるともう将棋ができなくなってしまいますから、扱いには気を付けてくださいね。」
「はい、師範。」
無一郎くんは無感情に返した。きっとこれはいつか無くしてしまうでしょうね。でも、無くしたものはきっと戻ってきます。
私は続けて話しかけました。
「明日で君が私のもとに来てから二ヶ月になりますね。」
「…二ヶ月……」
「どうでしたか」
聞くと彼はぎゅっと手に力を込めた。
「…まだわかりません」
「そうですか」
いつかわかるでしょうか。いつか、後悔するでしょうか。
その答えを、私は知ることができるのでしょうか。
「明日はご飯を豪華にしましょうか。食べたいものはありますか?」
「……ふろふき大根」
「またですか?好きですね……。それにしても、君…声低くなりました?」
彼は私と繋いでいない方の手で喉をおさえました。