第1章 Can't take my ayes
「誰に会いたくないって?」
「……アンタダヨ」
不意に降ってきた声が誰のものか分かり、私の体が一気に弛緩する。噂などするものではない。結局ろくな事にならないのだから。
背後を振り返りチラリと見上げれば、ヘルメットを小脇に抱えた仙石さんが意地悪そうに笑っていた。私がイタリアでの大会に出たことは知っているので、絶対その話になるに決まっているのだ。
毎度毎度、順位はどうだったんだだの、どのカップルと同じヒートだったかだの、点数撮った写真はあるのかだの首を突っ込んでくる。自分の心配だけしてろと言いたいが、心配などこの男には無用なのだろう。
質問攻めにされるまえに、逆にこちらから話題を振ってしまおうかと口を開きかけた時、タタラくんが「仙石さん!」と嬉しそうにニコニコ笑いながら駆け寄ってきた。ナイスである。
びっしょりと汗をかいて、袖口で拭きながら仙石さんの元へと突撃。子犬のようだ。
楽しそうに今日の練習の話をし出したので、さて裏にでも引っ込んでしまおうかとしたところで、私の名前が呼ばれた。
「、挨拶だけでもしてけよ」
「え、いやぁそんな仙石さんみたいに有名人じゃないし……」
「有名人じゃないのは知ってるから、挨拶してけよ」
「待って、その言い方もなんかムカつくな」
額に手を当てて怒りを抑え込む。
笑う仙石さんが、タタラくんの背中を押して私の前へと連れてくる。緊張しているのか、口を真一文字に結んでビシリと九十度のお辞儀をかましてくれた。
「富士田多々良です! 仙石さんにダンスを教えて貰っています!」
かばりと顔を上げた彼の目は、きらきらと輝いている。
ダンスが好きですという顔だ。よく分かる。
きっと私も、始めた頃はこんな目で世界を見ていたに違いない。
「です。10ダンサーだけどラテンがすきです」
よろしく、と手を差し出せば、タタラくんは汗のかいた手を自分のズボンでよく拭ってから手を握った。それでも少し湿った手が心地いい。いい子なのだろう。
「は大学生だが、社会人の男とカップル組んでてな。兵藤マリサ仕込みの実力者だ。今はコーチは別にいて、結構海外でも活躍するようになってきてんだ」
「すごい人なんだ……」
私を見るタタラくんの目が輝きを増す。私はじっとりと仙石さんを睨んだ。