第4章 月神 夜陰のむざね
「・・・・」
息を整え、戸の前に立った。黒死牟の私室を訪れるのは初めてだった。
主が不在の時に入室するのは気が引けたが、意を決して戸に手をかけた。
(黒死牟様、ごめんなさい)
心の中で非礼を詫び、戸を開け放った。
そこには、黒死牟がいた。
「黒死牟様、お戻りだったんですか。物音がしたから泥棒でもいたらどうしようかと思って・・・」
キリカの口調に安堵が戻ったのも束の間だった。部屋中に漂う、濃い血臭に眉をひそめた。
(この匂いは・・・)
もしや、黒死牟が大怪我をしているのではないか。キリカはいてもたってもいられなくなり、慌てて駆け寄ろうとした。
「それ以上、近寄るな・・・」
「そんな!怪我をされているのでは・・・」
黒死牟の着物は夥しい血飛沫で濡れていた。それを見た、キリカの顔面が蒼白に染まる。なおも食い下がろうとしたが黒死牟に制された。
「これは私の血ではない・・・」
「でも・・・」
「よく聞け・・・、私は鬼だ・・・」
振り向いた黒死牟の姿に、キリカは息を呑んだ。
目の前にいたのは、強膜は深紅、瞳は黄金。禍々しくも美しい、六つ眼の異形。
「これが・・・、私の真の姿だ・・・」
目を見開いたまま言葉を失っているキリカの前に、音もなく近付いた。静かに見下ろす。
「恐ろしいか・・・、この姿が・・・」
「・・・・・」
キリカは一言も発せずにいた。黒死牟の顔をじっと見上げたまま、そこに立ち尽くしていた。
「恐怖のあまり・・、何も言えぬか・・・。ならば・・・」
「・・・黒死牟様っ」
遮るように、キリカが名を呼んだ。
「恐ろしくはありません。あなたは私を助けてくれたではありませんか?」
その声は、やや掠れてはいたが、キリカは黒死牟を見据えたまま言い放った。
「あなたは命の恩人です。感謝こそすれ、恐ろしいと思う理由がありません」
キリカは淀みなく続けた。偽りの気持ちなど一欠片もない事を証明するかのように真摯な態度で。
「何だと・・・」
キリカの予想外の答えに、黒死牟は低く唸り声を漏らした。